握らずさわる(座波仁吉さんの指導)と整体の共通項

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『武術空手の知と実践』という
宇城憲治さんの本を
何年かごとに繰り返し読んでいる。
 
 
※全著作を通じて、宇城憲治さんと
師匠である座波仁吉さんとの
修行に対しての対話が興味深い。
 
 
読むたびに、新しい発見がある。
 
 
と、言うと
 
「鈴木さん、今さら何を考えているの?
歳を考えなさいよ、、、
 
空手家になりたいの、、、?」
 
 
って、後先考えずに
言う人がいらっしゃるが、、、
 
そんなことはまったくない。
 
 
そもそも、鈴木は、
 
格闘技は「見る」ものであって
「する」ものではない、というのが持論。
 
 
 
武道家の生きざまには、
たいそう憧れるけれど、、、
 
そうなりたいとも思わないし、
痛くて寒いのは嫌だしね
 
 
 
鈴木が、欲しいのは、
なぜその時に、そうするのか?
 
なぜ、そうしなければいけないのか?
 
 
と、いう根本思想というか
そこにたどり着いた「考え方」を
知りたいのです。
 
 
なぜなら、
 
この時に、「そう」しなければ
いけないのか?
 
が、わかれば
 
新しいことを習っても、
すぐに応用を効かすことができる。
 
 
反対に、この「なぜそうするのか?」が
わからければ、
 
 
Aさんは、こう言った
Bさんからは、Aさんとは
違う指摘を受けた
 
と、いう具合に言われ、
 
(じゃ~どうすればいいの?)
 
と、何が何だかわからなくなり
迷ってしまい、
 
そうこうするうちに
「やる気」が失せてしまう。
 
 
そして、
いつまでたっても、わからない。
 
 
 
「鈴木さん、いいですか?
言っている意味、わからないですよ、、、」
 
「そうですか、、、」
 
 
つまり、何を言いたいのか?
 
といえば
 
 
この場合、
 
宇城憲治さんの師匠である
座波仁吉さんが
 
「人を投げる時には、握らずさわる」
 
と、言った意味を
考えなくてはいけないのです。
 
 
「鈴木さん、人を投げる時に
握らないで投げることはできません」
 
と、言う頭でっかちの輩が
たまにいますが、、、
 
 
師匠が、「そう」言ったからには、
何かしらの深い意味が
隠されているのです。
 
 
師匠からすれば、人を投げる時には
「握らずにさわって投げている」
 
感覚なのであって、
 
 
その感覚が、長い間やって
間違いないから
そう説明しているのです。
 
 
 
 
追伸
この「握らずさわる」は、
はっきりいって奥義です。
 
 
私事で申し訳ないが
ある時、井本先生から
 
「鈴木君、私の前腕をさわってみて」と
言われました。
 
すっと、先生の前腕を握ったら
 
「その手では、鈴木君に、
私の体を預けることはできないね」と、ひとこと。
 
 
これには、かなりのショックでした。
 
 
先生に言われて「すっと」と取った。
「間」は悪くない。なのに、、、
 
 
「鈴木君は、握っている。
そうじゃなくて中をつかむ」
 
 
確かに、先生の手は、柔らかいのに
鈴木の中を確かにしっかりと
つかんでいるのです。
 
 
 
 
 
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