岩瀬昇
『日本軍はなぜ満洲大油田を
発見できなかったのか』を読んで
<一次エネルギー資源の供給を
海外に求めなくてはならない日本にとって、
世界貿易が妨げられない状態、
つまりは世界が平和であることが極めて重要だ。>
→ 一次エネルギー資源とは、
ずばり「石油」のこと。
今の日本では、「FUKUSHIMA(福島)」での
原発の事故以来、「原子力発電」による
発電は難しくなっている。
だから、「原子力発電」の安全であることを
完全に証明できないかぎり、、、
「石油」による火力発電の意義は
決して減らないだろう。
つまり、「石油」は、我が国:日本にとって
必要べからざるものなのである。
以前、日本の有数の石油備蓄基地である
九州:鹿児島県の志布志湾に一度行ったことがあるが、、、
見渡す限りの石油の備蓄タンクがあった。
(日本は、これだけの量の石油を
常時、備蓄しないと成り立っていかない国で
あることをこの目で確認した)
※日本の石油備蓄基地は「ここ」だけではない
苫小牧、六ケ所村、男鹿市、久慈市、新潟県聖籠町、
福井市、今治市、北九州市、長崎県上五島町、串木野市
<石油、いやエネルギーに関しては、
太平洋戦争当時の日本を取り巻く基本骨格が、
現代もなお変わっていないという事実に驚かされる。>
→今、日本が「石油」の搬入が止められると
半年は持たないと言われている。
<日本は、昔も今も、
石油を始めとする一次エネルギー資源を
ほぼ持たない「持たざる国」なのだ。
そしてまた、非常時がいつ来るか、わからない>
→だから、アラブ諸国から石油を満載した
タンカーが通る南シナ海の安全が重要になる。
※先日のブログにも書いたが
シンガポール:セントーサ島沖合にある
マラッカ海峡を日本の超大型タンカーが
数珠つなぎのように運航していた。
<昭和16年4月、
米国との経済と戦力の比較調査が行われた。
新庄健吉陸軍主計大佐は、
陸軍省軍事課長の岩畔豪雄大佐と同じ船で渡米し、
三井物産ニューヨーク支店内に
事務所を構えて米国の経済力調査を行った。
新庄は、陸軍経理学校、
東京帝国大学経済学部で学んだ経歴だった。
新庄は公に入手可能な資料、統計などを駆使して、
米国経済力を分析し、およそ3ヶ月後の7月中旬、
報告書をまとめあげた。
新庄は報告書の最後のまとめに
次のように記した。
「日米両国の工業力の比率は、
重工業において1対20。
化学工業において1対3である。
<岩畔の『速記録』によると、
説得してまわったのは、
陸軍参謀本部の部員以上全員、
海軍省および軍令部の主要な局部長以上、
宮内省首脳部、外務、大蔵の各大臣、
企画院総裁、陸海軍大臣、そして近衛総理などだった。>
→ つまり、日本は先の大戦では
普通にやれば「勝てる戦」ではなかった。
の、だが、、、
・だが、岩畔自身の言葉によれば、
「ドイツ便乗論」
「精神力の過大評価」
「天佑神助の空頼み」
によって、戦争突入の決意を固めていた
政府、軍首脳の考えを変えることはできなかった。
→ これを商売で言えば、、、
毎月の「売り上げ」が見込めないのに、、、
東京の地価が一番高い「港区」で
賃貸もせずに、土地を買い取り
そこへ自社ビルを建設するようなものだ。
無謀の一言に尽きる(涙)
追伸
しかし、先の戦は、アメリカによって
意図的に起こされたもの。
「鈴木さん、そんな話し
聞いたことがありませんよ、、、」
「では、証拠を上げましょう。
敗戦後、GHQの親分であったD・マッカーサーが
トルーマン大統領に解任された後
アメリカの公聴会で発言した記録が残っている。
「先の大戦では、アメリカの謀略により
日本は戦争せざるをえなかった。
つまり、日本は、祖国防衛のための
戦争だった、と思う」と。
追伸2
日本は、「石油」を持たざる国であった。
だから、「石油」が出る、インドネシアに行ったのだが、、、
実は、「満州」で「石油」が
無尽蔵にあるとの情報があったのだ。
だから、「満州」を押さえに行ったのだが、、、
あれから80年経過しても
現在は中国領である満州から
「石油」が出たと言う話しは聞いたことがない。
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