武田知弘『「桶狭間」は経済戦争だった 』を読んで

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織田信長というと、
鈴木は、とっさに永井豪の
ある漫画を思い出すのです。
 
 
※永井豪:『ギューティハニー』に
代表される、色艶のある漫画の先行者。
 
 
 
「うつけもの」(愚か者)と
周囲から言われる彼が
 
ある時、領内のある洞窟で転倒した。
 
 
気を失っている間に、
 
天上から、未来を見通すことができる
「IT」(それ)が下りてきて、、、
 
 
こう言うのだ。
 
「お前は、将来、日本の覇者となる運命だ。
これからは、俺の言う通りにしろ。
 
ただし、俺の言うことを、ほんのちょっとでも
疑う心が生じれば、お前は死ぬ」と。
 
 
 
その後、信長は、生まれ変わったように
 
内紛状態にあった尾張を
強引な手法で統一していった。
 
 
なぜ、そんなことが可能だったのか?
 
 
信長には、「経済力(=お金)」を
他人よりも莫大に持っていたのです。
 
 
 
 
ここから本文、
 
 
<信長の経済力を支えたある「港」の存在。
「津島」という港は、尾張と伊勢を結ぶ地点にあり、
西日本と東日本のちょうど中間に位置していた。
 
木曽川の支流大川と天王川の合流点でもあり、
尾張、美濃地方の玄関口でもあった>
 
→この津島には、鈴木は行ったことがある。
 
濃尾平野の西部、名古屋市の西方約16km。
 
木曽川に近い、風光明媚な町だった。
 
今では、港があったことさえわからないほど。
 
 
 
 
<信長の父、信秀の代の織田家は、
版図自体はそれほど大きくないが、
経済力はかなりのものを持っていた。
 
信秀を支えていた津島は、
当然、信長に受け継がれた。
 
信長が強力な常備軍を持てたのは、
この津島の収益のお陰でだったといえる>
 
→この当時、「軍」といえば、
農業の傍らにやる、
今でいえばアルバイトのようなもの。
 
だから、収穫期になると
「戦」はしたくてもできない状態。
 
武田信玄、上杉謙信もそうだった。
 
しかし、莫大な「お金」が
常備軍を持つことを許したのだった。
 
 
※「お金」の力を使って
 
・朝廷に献金、従五位下に叙位
・伊勢神宮遷宮のため、材木や銭七百貫文を献上
・朝廷に内裏修理料として4000貫文を献上
 
 
いかに並外れた収入があったかを示す
 
 
権威が天皇家にあることを知っていた
 
 
 
 
<狭い意味でいうなら、経済要衝の地
「知多半島」を奪い合った戦いということである>
 
→今、流行りでいえば、
ここ「尾張」が、地政学上の要衝の地。
 
 
現在、戦闘が続いている
アフガニスタン、シリア、
クリミア半島、朝鮮半島、
南シナ海、東シナ海などは
 
いずれも地政学上の要衝の地。
 
 
 
 
<その最もたるものが税制である。
信長は税のシステムを簡略にして、
中間搾取を極力減らし、
農民の負担を大幅に軽減したのである>
 
→今も昔も変わらない。
 
 
 
 
<信長は、将軍の足利義昭から
副将軍か畿内の管領に就くよう要請された。
 
しかし信長はこれを断り、
堺、大津、草津に代官を置く許可を願い出た>
 
→これが「商売人:織田信長」を示している。
 
名誉より、「実」(=お金)を取る。
 
※そういえば、、、この後を継ぐ
豊臣秀吉も商売がうまかった。
 
その後の徳川家康は商売が下手だった。
 
信長か秀吉が死なずに政権を担っていたら
「どんな時代」になっていたのだろうと
 
想像するだけで、ワクワクする。
 
 
 
 
 
追伸
満足な地図もない時代に
 
信長は、堺、大津、草津、津島が
持つ潜在的な意味をかぎ取ったのか?
 
この土地が「お金」に化けると
なぜ思ったのか?
 
 
 
※ロスチャイルド家も、
ロンドン、フランクフルト、ナポリ
ウィーン、パリに支店を置いた。
 
 
(道理は、日本でも、世界でも
いっしょなのだと思った)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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