旧約聖書の音読を始めて
ようやく「エレミヤ書」までたどり着いた。
※旧約聖書の80%に当たる。
キッチンタイマーで20分
きっちりと計測してから音読を始める。
この20分の時間だと
通常4~6ページ進む。
また、字のフォントが小さいので
裸眼で読むことができずに
有隣堂で買ったオレンジ色の
読書用眼鏡をかけて音読する。
昨年は、そうでもなかったのだが
急速に目が悪くなってきた。
以前は、視力が2.0あるのが
唯一の自慢だったのに、、、(涙)
きっと目の急所である
後頭部が下がっているのだと思う。
さて、
音読してみて改めて思ったのは
「聖書は、目で読むための本ではない」
「聖書は、親から子へ読み聞かせる物語」
「耳から聞く物語」
だ、と強く感じる。
実際に音読をやってみた人でないと
わからないと思うが、、、
音読してみると
文章が閊える(つかえる)ことがない。
スラスラと音読できる。
と、いうのも
・文章が入り組んでいない
・同じことを角度を変えて
何度も何度もくり返されている
・同じ言い回しを使う
・物語調になっていて頭に残りやすい
と、いった工夫が
なされているのだろう。
しかし、そういった工夫も
10年とか短いスパンでなされたものでなく
非常に長い年月をかけて
音読しやすいものに変わったのだろう。
ちなみに、世界一優秀であるユダヤ人は
子どものころから聖書を音読させ
全部を丸暗記させることで有名だ。
そういえば、日本でも武士階級では
素読といって文章の意味など
わからないうちから
四書五経を何度も何度も音読させて
丸暗記させていた。
ここで、フッと気づいた。
何事かを効率よく学ぶ際に
一番の近道は、人に「教える」ことだ。
「教える」ことによって
頭が整理されるからだ。
そういえば、
(音読は、自分に向かって
「教えているようなもんだな、、、)
と、気がついた。
関連記事
- 2017.08.29
JALの勝ち - 2019.05.15
「ひび」が入っているかも、、、 - 2020.03.31
ちょっと気になる園児の話し - 2017.02.26
清水宏保の感覚の鋭さは地頭の良さをもの語る - 2019.01.23
350日ブログを書ける3つの理由 - 2019.01.12
冬の風鈴と風邪