-井本整体横浜室-よしみ整体[鈴木好美]

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09.04 北政所が石田三成を嫌った些細な理由

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ず~っと不思議だった

北政所と石田三成が
なぜ、こんなにも仲が悪いのかと、、、

 

仲がよかったら関ヶ原の戦いは
なかったかもしれないのに。

 

しかし、その長年の謎は
先日、岡田准一主演の映画
『関ケ原』を見て氷解した。

 

あなたもご存知の通り

北政所は豊臣秀吉の正婦人。


石田三成は秀吉が佐和山城主だった時に
スカウトした人間。

 

その際の逸話は、有名だ。

 

三成が近江のある寺の小僧だった時に
秀吉がのどが渇いたために茶を所望した。

 

秀吉「のどが渇いたぎゃ~
茶を持ってこ」

※尾張なまりと違うと言わないでね(苦笑)

 

三成「はいっ」

 

1杯目:大きめの茶碗にぬるいお茶
2杯目:小ぶりの茶碗にちょっと熱い茶
3杯目:ほんとに小さな茶碗に熱い茶

 

秀吉は三成(幼名は佐吉)の賢さにほれ込み
家臣として引き取った。

 

当時、秀吉は子飼いの家来が
いないために手下を集めていた。

 

と、いうのも秀吉は
家康や信長と違い最下層の出身。

 

有力な家来もいない。
親戚もいないのだ。

 

だから、日頃から「これは」と
いう人物に声をかけていたのだった。

 

つまり、人を見る目があった。
下世話で言うと、たらし込むのが
上手だったのだ。

 

そうこうしてチャンスをつかみ
天下人に登りつめた。

 

 

映画の1シーンの中で
こんなシーンがある。

 

大坂城内で、

 

北政所、秀吉が尾張出身の家来らと
大騒ぎしている。

 

そこへ、近江出身で高貴な血の出である
淀の方が通りかかる。

 

淀の方が、その下品な遊びを見て
眉間にしわを寄せる。

 

それを見た北政所は淀の方に向かって
こう言い放ったのだ。

 

「近江もんは気取っとるのぉ~」

「わしは尾張の田舎もんじゃて」

 

北政所と石田三成が仲が悪いのは

これが理由か!

 

 

北政所:尾張生まれの田舎者
三成、淀の方:近江生まれ

 

※近江商人といって
近江は昔から商売が得意なお国柄

 

農家と商人とではね、、、

 

まぁ~要するに

 

・気が合わない
・育ちが違う
・生きてきた気風が違う

 

なのだ。

 

それにしても、こんな理由で
三成は北政所を敵に回し

 

その結果、乾坤一擲の大勝負である
関ケ原:天下分け目の戦いで敗北し
六条河原の露と消えたのだった。

 

 

 

追伸
このように人との出会いは
運命的なものである。

 

気が合うか、合わないか?

 

まぁ~そんなものかもしれないし
そうでないのかもしれないなぁ~と
思った次第です。

 

 

 
 

 

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