この頃、あの世界最大の劇作家である
W・シェイクスピア全集を音読している。
邦訳もいろいろあるが
字が大きい白水uブックスの
『シェイクスピア全集』を使用している。
以前にも、大学生の頃に
シェイクスピア全集は
一度読んだことがある。
しかし、あの頃は、視力が
まだ、2.0だったので
福田恒存さんが訳した行間が詰まった
シェイクスピア全集の文庫本を読んでも
全然平気だった、、、
のに、
あれから30年経った今では
彼の訳の文庫本では老眼鏡をかけても
読むことができない。
時間が経つことは
そういうことなんですね(涙)
いやいや、
今日は、そんな後ろ向きな話ではない。
さて、ある時、シェイクスピア全集の
末尾にある解説を読んでみた。
※通常は、先入観が入るから解説は見ない
すると、、、
シェイクスピア全集の大部分が
シェイクスピアのオリジナルでは
ないことに気付いた。
全てに、種本があるのだ。
彼が、生活していた時分に
評判になっていた本、詩、
物語、言い伝えなどから
戯曲のコアとなる部分が抽出され、
そこへ様々な話から、
エピソードを引っ張ってきたり
物語のの地名を変えたり
主人公を男から女に変えたり
まぁ~いろいろとつぎはぎをして
あの偉大なシェイクスピア全集が
作られていたのだった。
(あのシェイクスピアでさえ
模倣をしていたのだ)
(1から作り出すというのは
一種の傲慢じゃないのか?)
(オリジナルを作ろうとする
無駄な時間があれば一つでも多くの
情報に触れる方が効果的だ)
と、考えを大幅に改めた。
それから、というもの
このブログを書くにしても
ねじり鉢巻きをして
「うんうん」うめいて無から
何かを絞し出そうとせずに
他人が書いたブログで
良さそうなやつを
自分なりにシチュエーションを変えて
リライトしているのだ。
それの方が書くのも数段に速いしね。
追伸
1980年代、『北の国から』『駅』などで
日本有数の脚本家と呼ばれた
倉本聰さんがまだ売れなくて
修行中だった時に、抜擢された理由を
知っているだろうか?
「倉本さんのセリフの言い回しのセンスですかね?」
「間の使い方が秀逸だったのですか?」
違います。
倉本聰さんが演出家から使われたのは、
シナリオが優れていたからではなく
「ただ、締め切りに遅れない
稀有な脚本家だったから」
なのですよ。
結論
「とりあえずやってみろ!
やりながらうまくなる」ですね!
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