先日、大晦日には
必ず桂歌丸さんの地元である
横浜橋商店街に行くと書いた。
※この商店街の近くで
桂歌丸さんは昭和11年(1936年)に生まれた。
正確には、、、
横浜市南区真金町(=まがねちょう)
ちょっとばかり歴史をひもとくと
明治13年(1880年)、
火災により焼失した高島町遊郭が
当地へ移転した。
昭和33年(1958年)赤線廃止まで、
遊郭街として存続した。
現在は、ほとんど遊郭の面影はない。
ただし、この辺り一帯は
碁盤の目のように
区画整理されているが名残り。
※ウィキより抜粋
そこで、今度は
桂歌丸さんのことを書いてみる。
いくつかのエピソードを書くので
人間像をつかんでほしい。
※ウィキより抜粋
・おばあさんは、遊郭の周旋屋
・戦争中、疎開先でサツマイモばかり
食べていたので、その後、大嫌いになった
・落語と漫才に夢中になったが、、、
「わがままな自分にとって二人で
演芸をするのは無理かな」と思い
漫才師になることを断念した。
また、30代の頃には、すでに髪が薄く
晩年までその雰囲気は変わらなかった、と言う。
そんな師匠が、、、
<(古今亭)今輔師匠から
言われた言葉なんですが、、、
・褒める人間は敵
・教えてくれる人、注意してくれる人は味方
(後は、こう続く)
普通、人間っていうのは
褒められれば嬉しいですよね。
怒られたら「畜生」と思いますよね。
それは逆だって言うんですよ。
若いうちに褒められると、
そこで成長は止まっちゃう。
木に例えれば、出てきた木の芽を
パチンと摘んじゃうことになる。
で、教えてくれる人、注意してくれる人、
叱ってくれる人は、足元へ水をやり、
肥料をやり、大木にし、花を咲かせ、
実を結ばせようとしてくれている人間だって>
追伸
つまり、師匠から怒られているうちは
見込みがあるということだと思う。
しかし、考えてみれば
師匠とは、損な役回りだ、と思う。
弟子に教えてやるために
怒ったり、文句を言ったり
注意をしたりするのだから。
参照:2018.07.04
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