「鈴木君も、私の歳ぐらいになると
そうなるから気を落とすなよ。
それとだね、、、
50代の僕と20代の君とが
成績が一緒じゃまずいだろ」
「・・・・・・」
この会話は、今から30年前のこと。
鈴木は、昭和62年、
特別研修生として
T海上火災に入社した。
時代は、バブル真っ最中。
同世代のカップルが、
クリスマスに今はもう無い、
赤坂プリンスホテルに
3万円だか、4万円だか払って
お泊りになっていた時代だった。
その頃、鈴木は、どういうわけか
バドミントンにはまっていて
毎日、シャトルを弾いていた。(苦笑)
大学には、通っていたが
将来、どうするか?と、
考えることもなく、
と、いうか、
「俺は、将来、小説家になるのだ」と決めて
純文学、歴史小説を読み漁っていた。
しかし、小説家になるのにとって
一番大事なことである
文章を一行も書くこともなく、、、
ぐうたらな日々を過ごしていた。
でも、そんなことをしている鈴木に
将来、夢があるような話しは来ない。
しかたがなく、T海上に
お世話になることにしたのだった。
※当時は、文句さえ言わなかったら
就職の口はいくらでもあった
その頃は、速く、代理店になって
空いた時間で、存分に、文章を書いて
村上龍のように
20代で小説家になるのだ、と
思っていたのです。
まるで、笑える話し。
まぁ~、若気の至り、にしても
(それにしても、ひどいなぁ~)
Kさんは、当時、50代前半。
元、幼稚園の理事長だった。
今、考えれば、
幼稚園の理事長だった方が
わざわざ、T海上に入社するのも
おかしな話なのだが、、、
そんなことも、わからなかった。
(いやはや、困ったちゃんだね)
Kさんは、入社して
すぐに実績を挙げた。
前職の経験と人柄か
保母さん相手に、
積立の保険を
20本取ってきたのだった。
※Kさんと鈴木は同期入社
そして、冒頭のKさんとの会話が
その頃、した話しなのです。
てなことを、この頃
よく思いだすのです。
そう考えると、Kさんは、
もう70代のはずだ。
Kさんとは、
それ以来音信が不通で、
どうなっているかは知らない。
その後、鈴木も
いろいろとあったが
33歳で「この人」と
思える師匠に、たどり着いた。
そして、今は、日々
満足感のある仕事をしている。
とても、今は幸せだ。
追伸
それにしても、鈴木の大学入学から
井本整体にたどり着くまでの
10年間の右往左往ぶりは、ひどすぎる。(涙)
でも、「これ」にも
意味があったんだなぁ~と思う、、、きっと
そう思わないと、
今後の人生を
乗り切っていく勇気が湧かない。
と、いうことで
今回は、恥多き青春時代に
ついて書きました。
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