本多静六といえば、成功物語が
好きな人には知る人ぞ知る人物だが、、、
「本多静六?だれ」という方も
いらっしゃると思うので
以下ウィキで簡単に略歴を記す。
生まれ:1866年8月11日(慶応2年)
死去: 1952年1月29日(昭和27年)85歳
明治維新のわずか2年前に
埼玉県久喜市で生まれた。
名主の家の第6子。裕福だった。
が、父親の急死で9歳から苦労した。
しかし、勉強が大事だと
本能的に察した彼は、、、
・14歳 書生として住み込み
農閑期には勉強
それ以外は、農家の手伝い
を、3年間行った。
その努力が実ったのか、、、
(運命は努力する人を決して見逃さないのか、、、)
その後、東大を経てドイツに留学した。
公園の設計で有名。
日比谷公園、北海道の大沼公園
明治神宮、福岡県の大濠公園など
と、まぁ~すごい人。
その実績については、一言、脱帽。( ;∀;)
しかし、彼の素晴らしいところは
長期的な視野に立って
計画し、地道に、着実に積み上げて
いったところだ。
長期的、地道、コツコツ
例を出すと
留学中遅々として進まない
勉強に業を煮やした
彼はついに決意する。
ミュンヘン大学での恩師・ブレンタノ教授が
講義の種本としている
『エーアベルグの財政原論』という
257ページの本を、
一字一句も余さず暗誦しようと決めた。
当然、ドイツ語だ。
「原文を声に出して読み
記憶しようとするが、、、」(涙)
全然、覚えられない。
何日やってもできない。
そこで、彼は背水の陣を敷いた。
「このままでは学位が取れない」
そんな屈辱でおめおめと故国に帰れない。
どの面下げて養父にまみえよう、
むしろ潔く切腹することが
男子の面目ではないか。
ついに切腹の決心を固め、
養父から与えられた、
伝家の宝刀を取り出した。
しかし、
実際に腹に刀を当てようとすると
一分も切れない。
(む、む、、、、意気地なし)
盲目の塙保己一は630巻の
群書類従の内容を暗記したのに
俺にできぬわけがない。
決意も新たに
再び勉強を始めた。
だが、やってみるとまたダメ。
刀を取り出す。
またやってみる。
そんなことを繰り返しながら、
不安焦燥の数日を過ごすと、
不思議にも一週間ののちに、
ようやく精神が統一されてきて、
驚くほどの暗記力がついてきた。
↑
日の出の前が最も夜の闇が深い、という。
仕事もいっしょのようだ。
きつい
先が見えない
どうなるかわからない
不安
焦燥感
無力感
それで、
95パーセントの人が
ここであきらめる。
だから、この世で成功をなす人は
5パーセンという説もある。
大いに同感する。
この本多静六も、ギリギリのところで
踏ん張った。耐えた。
ご褒美なのか、その後は、順調に
記憶ができたそうだ。
今日の話は彼の前半生のエピソード。
実は、彼の真骨頂はドイツから
日本へ帰国してからなのだが、、、
『限界を超えた努力』を
実践、その効用を会得した
彼の後半生の話は明日以降にします。
お楽しみに。
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