今日のブログは、
長唄三味線方
(人間国宝)でいらっしゃる
今藤政太郎さん(84歳)の
インタビュー記事を
参考にして書いています。
ちょっと長いけど
これを書かないと
後が続かないので書く。
<舞踏家の石井かほるさんが
長唄の「黒髪」で舞台を
なさるというので
僕(今藤政太郎さん)と
妹の今藤美知の唄で
演奏したことがありました。
その舞台稽古を父が見に来ました
舞台に出てきた石井さんが
燭台(=しょくだい)に手をかざすと
三味線が鳴って
「黒髪の」と妹の歌が始まる。
うまくいったと思ったのですが
妹が父に叱られました。
歌に入る直前
自分の前に置いた扇を
取ろうとして体を動かしたのです」
今藤政太郎さんがその時
(でも、唄方が歌う時は
扇を手に取って持つのが作法では、、、)
と、思ったそうです。
そこへ師匠である父が
<「そんなものは単なる様式
形式にすぎない」と言うのです。
「扇を取らなきゃ唄えないか?」と。
確かに、お客さまが
石井さんに集中する場面です。
その時に、「扇を取らない、
という選択が瞬時にできなければ
芸術家じゃない」と。
父は、いわば様式の
世界の頂点にいる人でしょう。
その人が
「様式なんかどちらでも
いいじゃないか」と言う。
知識としてではなく
本質がわかっているからでしょう。
心から感服しました>
長かったですね。(苦笑)
簡単にまとめると、、、
舞台稽古の練習をしていると
師匠である父が見に来た。
歌に入る直前、扇を取ろうと
ちょっと体を動かした。
なぜ、扇を取ろうとしたのか?
と、父から叱られた。
えっ、でも、、、
歌う時は扇を手に持つのは
決まり事ではないのか。
それに対して、
父は、歌う時は扇を手に持つのは
確かにその通りなのだが
扇を取らない方がいい時もある。
なぜ、それがわからんのか?
と、言うこと。
追伸
整体の観点からみると
このインタビューには
非常に重要な点が記されています。
『整体法2』にも
書かれているように、、、
「整体指導者というものは
生命に対する礼を尽くし
その一挙手一投足は
相手のものでなくてはならない」
つまり、整体指導者の挙措は
すべて相手のものでなくてはならない。
相手とは、、、
操法では、「患者さん」に当たる。
練習では、「練習相手」に当たる。
要するに、整体操法、
人体力学体操の指導の際の基準は
「相手」がどう感じるのか? なのです。
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