水谷隼選手は、日本の卓球界で
ずっとトップだったのだが
ルールや道具が変更によって
卓球は「高速化」を求まれた。
※時代は、ちんたらしたラリーよりも
スピーディなラリーを好んだ。
そうでもしなければ
視聴率を稼げないから
ベテランとも言われる年齢に
なっていた水谷は、、、
その「高速化」に順応できずにいた。
昔、全盛期の水谷が後輩に教える
と、言う企画のテレビ番組を
鈴木は見たことがある。
相手は、ジュニアーの選手だった。
※現在、この選手は
日本ランクトップにいる選手
素人の鈴木が見ても
力量差は、激しく思われた。
それから、わずか3年
経過しただけで
そのジュニアーの選手は
いつの間にかトップに伸し上がった。
卓球界の様相は変わったのです。
水谷も、この激変した様子を
感じ取っていた。
(このまま何もせずにいれば、、、
全ては終わる)
と、強く確信した。
その後、彼が取った行動は
驚嘆に値するのです。
トップにいた選手が、
プライドをかなぐり捨てて
・自分を最も理解し
実力を上げてくれるコーチと個人契約
・環境を変えるために
ロシアの卓球リーグに参加
その結果、、、
今年行われる予定だった
東京オリンピック卓球団体に
選出されたのです。
※残念ながら、、、
東京オリンピックは開催されなかったが
追伸
水谷は言う。
「同じことをやっていけばいいと
思った時点で、
それは退化していることと同じ」
「長くトップを維持するということは
時代の変化に適応していくということ」
これを整体に置き換えてみると
様々な示唆が浮かぶ。
鈴木が、平成時代に
習った井本整体も
時代が令和になって
少しずつだが
変化しているように思う。
もちろん、、、
基本的な技術は
変わっていないが、、、
井本整体を受ける人の
体、感受性、感覚が
昔と比べて少しづつ
変わってきているように思うのです。
水谷隼選手がおっしゃるように
「同じことをやっていけばいいと
思った時点で、
それは退化していることと同じ」
「長くトップを維持するということは
時代の変化に適応していくということ」
つまり、
患者さんの体に合わせて
技術を適応させることが
重要なことになってきたのです。
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