明治35年5月5日
『日本』に連載された
『病床六尺』によれば、、、
※俳人で有名な
正岡子規の闘病日記
「このごろは
モルヒネを飲んでから
写生をやるのが
何よりの楽しみとなって居る」
(えっ、正岡子規って
モルヒネを使っていたのか?
そして、明治の御世には
モルヒネが医療現場で
使われていたのか、?)と思う。
ちょっとググってみると、、、
こんなページがありました。
著者は尼崎の
町医者の長尾和宏さん。
『平成臨終図鑑』
『痛い在宅医』『平穏死』
など著作多数。
<明治35年(1902年)、
正岡子規は、脊椎カリエスの
激しい痛みを
モルヒネでしのいだ生活の様子を、
闘病記で詳細に記しています。
寝返りも打てないほどの痛みを
モルヒネで和らげながら、
俳句を詠み、絵を描き、
多くの弟子を指導していたようです>
ここで、正岡子規について
簡単に記しておくと、、、
1867年10月14日
〈慶応3年9月17日〉生まれ
※15代将軍 徳川慶喜が
政権を天皇陛下に奉還した
1902年〈明治35年〉
9月19日 死去
※日露戦争の2年前
死を迎えるまでの
約7年間は結核を患っていた。
結核菌が脊椎を冒し
脊椎カリエスを発症。
以後床に伏す日が多くなり、
数度の手術も受けたが
病状は好転せず、
やがて臀部や背中に
穴があき膿が流れ出るようになった。
ちなみに雅号の『子規』は
ホトトギスの異称。
結核を病み喀血した
自分自身を、
血を吐くまで鳴くと
言われるホトトギスに
喩えたものである。
(ん~ん、凄まじい)
追伸
正岡子規の写真を見ると
胸が落ちて、あごが突き出す
呼吸器が弱い典型的な
体型を示している。
そうなると、当然、
肩甲骨は開く。
呼吸器の急所である
腰は下がっていることが
予想される。
ちなみに、、、
母八重の回想によれば
乳児のころの子規は
・顔が異常に丸く
・見苦しく、鼻も低かった
・体質虚弱で背も低い
・内向的だったことから
よくいじめられていた
呼吸器が弱いと猫背になる。
その結果、深く呼吸を
することができない。
当然、内にこもりがちになり。
陰気になっていくのです。
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