先日、『 オーシャンズ8 』を、観た。
オープニングとラストがいい。
昔のこと、、、
鈴木は、「小説家」に
なりたかった時期がある。
大学生1年生のころは
「純文学」こそ「文学」だと
思っていたので、、、
「芥川賞」受賞作品ばかりを
読んでいた。
その頃は、大学生の時に
芥川賞を取った村上龍に憧れていた。
受賞作品である
『限りなく透明に近いブルー』を
何度も読んでは書き移してもいた。
先日、自宅の机の中を整理していたら
あの頃に書いたものが出てきた。
「薄暗い四畳半の部屋にある
白熱電球の周りを
先ほどから、茶色の翅を持った
蛾が飛んでいる。
その蛾は、居場所を
探そうとしているように見える。
あぁ~まるで自分のようだ」
と、こんなことが書いてあった。(涙)
18歳にしては、
「大人」びているかもしれないが、、、
今、おっさんの鈴木の目からすれば
誰がこんなもんで始まる文章を
読むかいな?というレベル。
「そう、思うでしょ、、、?」
その後、頭が少し、
「まとも」になってきてからは
つまり、現実的になってみると
「純文学」では食えないことがわかった。
※「そう」考える段階で
真の「作家」ではないとわかるのが、、、
また後のこと。
鈴木は、どうしようもないのです。(涙)
でも、その頃は、わからないのが
「青春」のいい面でもあり
悪い面でもある。(苦笑)
その後は、立ち位置を変えて、
「文章を書いて食えるなら」と
大幅に目標を下げた。
エンターテイメント、シナリオ
何でもいいのだ。
いろいろな作劇術を学んだ。
その中で一番「これだ」と思ったのが
ハリウッド式シナリオ構成法なのです。
この本は、
ずばり「売れる」ためにはどうするか?
の観点に基づいて書かれていて
非常に参考になった。
要点は、
ハリウッドの商業ベースでいう
「いい」作品とは、
オープニングとラストが
「予想外」「斬新」「新鮮」な内容なのです。
この映画は、「それ」が素晴らしい。
前置きは、ここまでにして、、、
さて、いつも通りに
予告篇を貼っておくので
まずは見て大まかなストーリーを
頭に入れて下さいね。
続いて
【キャスト】
今回は、「泥棒=オーシャンズ 8 」側の
視点に立って以下にまとめておく。
・デビー・オーシャン(司令塔)
→サンドラ・ブロック
・ルー (右腕)
→ケイト・ブランシェット
・ダフネ・クルーガー (ターゲット)
→アン・ハサウェイ
・アミータ (宝石職人)
→ミンディ・カリング
・コンスタンス(掏り名人)
→オークワフィナ
・タミー (盗品売買)
→サラ・ポールソン
・ナインボール(天才ハッカー)
→リアーナ
・ワイル (デザイナー)
→ヘレナ・ボナム・カーター
舞台は、NYメトロポリタン美術館
※世界の三大美術館
他は、ルーブル(仏)、エルミタージュ(露)
・まず、驚くのは、この役割分担。
日本人は、何でも1人で
やりこなせる人を評価する向きがあるが、、、
あっちでは、適材適所が「当たり前」というか
文化になっているように感じる。
この視点は、今の日本にとって
重要な示唆を与えるように思う。
「一番得意なこと」だけをする文化。
そして、それを「よし」とする文化。
その結果、「苦手なこと」は
他の人にやってもらう、という感覚は
とても「大事」なように思う。
・やっぱり、アン・ハサウェイだね。
「スター」の時の傲慢な目の動きと
真実を知った時の目との「差」がとてもいい。
美人ほど、コメディをやると映える。
「落差」かな、、、
目が大きな彼女は、
それだけで「好き」です。
・サンドラ・ブロックは、
ずいぶん「痩せた」ように見える。
だから、よかったね。
オープニングでの、仮釈放が
決まるかどうか?の面接は笑えたね。
「今後は、真っ当な人間になり、
地道に暮らすことを約束します」
と、言って、
釈放された後の
・トップブランド化粧品店でのこと
・一流ホテルに無料で宿泊すること
あぁ~こんな「やり方」も
あるのかと思ったね。
追伸
ハリウッドの作劇術に則った
正統の娯楽映画です。
オープニングとラストの5分は
絶対に見逃してはならない。
呼吸を止めて「観る」作品。
それにしても、
オープニングとラストのセリフは
日本人の感性からは出てこないであろう。
と、正直、思った。
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