今日は、木村久一『早教育と天才』を
読んでブログを書いています。
<ドイツの法学者カール・ヴィッテは、
早期教育を受けた。
ヴィッテの父は、牧師さんだった。
彼は、こんな考えを持っていた。
「子供は赤子の時から
教育しなければならない」
「赤子の時から教育を施せば
たいていな子供は非凡な人になる」と、、、
その方針のもと、、、
ヴィッテは父からの教育により、
8歳でドイツ語、フランス語、イタリア語、
ラテン語、英語、ギリシャ語
6ヶ国語が自由にできた。
また動物学、植物学、物理学、
化学、特に数学が非常にできた。
その結果、9歳の年、
ライプツィッヒ大学の入学試験に合格。
1814年、14歳で数学上の論文によって
哲学博士の学位を授けられた。
16歳で法学博士の学位を授けられ、
ベルリン大学の法学教授に任命された。
ここまでは、父が施した教育の結果。
これからは、牧師さんである父が
息子にどんな教育を授けたのか?を記す。
ヴィッテの父母は、
幼いヴィッテを抱きながら、
食卓上の器具や食物や、体の部分、
着物の部分や、室内の器具や品物や、
家屋の部分や、庭園の草木や、その部分など、
少々でもヴィッテの注意をひく
すべての物の名前を教えた。
こうして少し話がわかるようになると、
父母は毎日、彼にお話をして聞かせた。
幼い子供には、お話ほど大切なものはない。
※幼い子供じゃない鈴木でも
ここ2年ほど実施している音読での
『聖書』
『源氏物語』
『シェイクスピア』
『ハリーポッター』
の、お話しは「大切」に思うから。。。
その後、ヴィッテが3歳になると、
父は毎日彼を連れて、
必ず1時間散歩した。
しかしその散歩は、
ただぶらぶら歩くのではなく、
絶えず話をしながら歩くのである。
たとえば野花を摘んでそれを解剖し、
これは何それと説明して聞かせる。
また自分の知らないことを
尋ねられたときは、
「これはお父さんも知らない」と
正直に答えた。
その後、父子して書物を見るとか、
図書館に行き、一緒に研究した。
※こどもの感性は、大人の「うそ」を
感覚的に見破るからね、、、
また、地理の研究は次のようにした。
2人で散歩に行って、
略図に道路や森や川などを書き入れ、
近隣の地図を完成した。
次に本屋でこの地方の地図を買い、
自分たちの地図と比べ、訂正した。
※実際に見せてから、、、
正しい知識を入れたのか。。。
ヴィッテの父の教育の理想は、
身体においても精神においても、
円満な人を造ることであった。
だから彼は知育徳育体育をすべて重んじた。
またヴィッテの文学趣味を
養うことを忘れなかった。
その結果、ヴィッテは
非常な文学通になり、
有名な詩はたいてい暗記した。
※鈴木は、この頃、
詩集をせっせと音読しているのですが、、、
もしかしたら、「詩人」こそが
この世の中で最も世の中の理(=ことわり)に
通じているのではないかと思うようになった。
追伸
この本を読んだことで、、、
いかに「幼少期の教育」が
重要なことがわかった。
鈴木は、もう残念ながら
幼少期はとうに過ぎたので
同じようなことはできないが、、、(涙)
人間の脳には、「可塑性(=かそせい)」がある。
つまり、死ぬまで、
脳は生成し発育するのです。
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今、何もしていないじゃん!(口先番長)