「鈴木さん、夏、真っ最中なのに
冬に起きた忠臣蔵の話しですか?」
「はい、そうです。。。
ある時、『9代将軍は女だった!』
古川愛哲さんを読んでいて、
なるほどなと思いました。
古川愛哲さんは、放送作家。
新しい視点が、必須のお仕事。
世の中で、最もシビアな仕事。
頭が柔軟でないと、
視聴率は取れませんから。
それでは、早速、答えから。
1701年 元禄14年
勅使御馳走役に幕府がこの2人を指名。
勅使御馳走役とは、皇室より派遣されて
江戸に下向してきた使者を接待する役職。
主に外様大名が任命された。
・伊達左京介村豊 30,000石
→陸前(宮城県)伊達家分家
・浅野内匠頭長矩 53,500石
→安芸(広島県)浅野家分家
浅野の殿様、任命されてから
気鬱症になり頭痛を発症したらしい。
と、言うのも、、、
本家である伊達家と浅野家とは
豊臣秀吉以来の「不通大名」
伊達政宗と浅野長政の間には
幾つもの禍根があって仲が悪かった。
それが、前提。
また、
徳川家康の元和偃武(げんなえんぶ)により
応仁の乱以来、150年近くにわたって
戦国時代が終わったことによって
大名同士の戦は事実上禁止になった。
大名同士の喧嘩は喧嘩両成敗が基本。
しかし、忠臣蔵では、、、
喧嘩の片方の当事者である
浅野だけを幕府は問答無用で切腹させたが
吉良は、お咎めなしだった。
幕府の一方的な方針に、ブチ切れた
浅野家の面々が吉良を打ち取ったのそうだ。
つまり、先祖同士が仲が悪い上に
幕府のえこひいきが根っこの原因と言う。
追伸
この発想は自分には全く無かったから、、、
とても新鮮で、おもしろく思えた。
人間の確執というのは、時間が経てば経つほど
増幅されてしまうものらしい。
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