-井本整体横浜室-よしみ整体[鈴木好美]

神奈川県横浜市保土ヶ谷区西谷町766-4ルミエール1階

09.18 正岡子規とモルヒネ

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明治35年5月5日
『日本』に連載された
『病床六尺』によれば、、、

※俳人で有名な
正岡子規の闘病日記

 

「このごろは
モルヒネを飲んでから

写生をやるのが
何よりの楽しみとなって居る」


(えっ、正岡子規って
モルヒネを使っていたのか?


そして、明治の御世には
モルヒネが医療現場で
使われていたのか、?)と思う。

 

ちょっとググってみると、、、

こんなページがありました。

著者は尼崎の
町医者の長尾和宏さん。

『平成臨終図鑑』
『痛い在宅医』『平穏死』

など著作多数。

 

<明治35年(1902年)、
正岡子規は、脊椎カリエスの
激しい痛みを

モルヒネでしのいだ生活の様子を、
闘病記で詳細に記しています。


寝返りも打てないほどの痛みを
モルヒネで和らげながら、

俳句を詠み、絵を描き、
多くの弟子を指導していたようです>

 

ここで、正岡子規について
簡単に記しておくと、、、


1867年10月14日
〈慶応3年9月17日〉生まれ

※15代将軍 徳川慶喜が
政権を天皇陛下に奉還した


1902年〈明治35年〉
9月19日 死去

※日露戦争の2年前


死を迎えるまでの
約7年間は結核を患っていた。


結核菌が脊椎を冒し
脊椎カリエスを発症。

以後床に伏す日が多くなり、
数度の手術も受けたが
病状は好転せず、

やがて臀部や背中に
穴があき膿が流れ出るようになった。


ちなみに雅号の『子規』は
ホトトギスの異称。

結核を病み喀血した
自分自身を、

血を吐くまで鳴くと
言われるホトトギスに
喩えたものである。


(ん~ん、凄まじい)

 

 

追伸
正岡子規の写真を見ると

胸が落ちて、あごが突き出す
呼吸器が弱い典型的な
体型を示している。

そうなると、当然、
肩甲骨は開く。

呼吸器の急所である
腰は下がっていることが
予想される。


ちなみに、、、
母八重の回想によれば

乳児のころの子規は

・顔が異常に丸く
・見苦しく、鼻も低かった

・体質虚弱で背も低い
・内向的だったことから
よくいじめられていた


呼吸器が弱いと猫背になる。
その結果、深く呼吸を
することができない。

当然、内にこもりがちになり。
陰気になっていくのです。

 

 

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