彼は、高校生時代、「令和の怪物」と呼ばれながら、
岩手大会決勝戦では
監督の判断で投げなかったことが
大きな話題となりました。
「故障から守るため」という理由であったようですが、
チームは大敗して甲子園出場はならず、
監督への非難が殺到しました。
しかし、この後、佐々木朗希投手は
ロッテに入団して、3年目に完全試合を達成し
今では、日本のエース格として認められています。
※ロッテ首脳陣も、ここらへんの所を
しっかり理解しているようで大変好ましいですね
そんな彼を指導していたのが
國保陽平さん。
本人も、アメリカでも野球経験があり、
そのときに多くの選手が無理をしてケガに泣き、
野球の第一線から消えていった姿を目撃したようです。
そうした経験から、佐々木投手のように
将来限りなく有望な選手を、
高校時代に潰してしまうわけにはいかない、
と思われたのでしょう。
投手の肘は、消耗品だということは
もうかなり前からわかっていました。
でも、高校のため、県のため、指導者の栄誉のため
長い間、見て見ぬふりをしてきたのですね。
また、体が小さくても頑張れば何とかなるという
日本的な考えも、もうベースボールには
通用しないようです。
規格自体が著しく変貌を遂げたからですね。
追伸
國保陽平さんのおかげで、
その後の高校野球のあり方が変わりました。
エースに頼りきる野球、
エースと心中するような野球から、
投球数の制限なども取り入れられるようになり、
継投策で勝つという野球が主流になってきたのです。
ちなみに、、、
佐々木朗希選手の現在の身長は192センチ。
父親:181センチ、母親:165センチ
高校生時代は、21時には消灯だったそうです。
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