ず~っと不思議だった
。
北政所と石田三成が
なぜ、こんなにも仲が悪いのかと、、、
仲がよかったら関ヶ原の戦いは
なかったかもしれないのに。
しかし、その長年の謎は
先日、岡田准一主演の映画
『関ケ原』を見て氷解した。
あなたもご存知の通り
北政所は豊臣秀吉の正婦人。
石田三成は秀吉が佐和山城主だった時に
スカウトした人間。
その際の逸話は、有名だ。
三成が近江のある寺の小僧だった時に
秀吉がのどが渇いたために茶を所望した。
秀吉「のどが渇いたぎゃ~
茶を持ってこ」
※尾張なまりと違うと言わないでね(苦笑)
三成「はいっ」
1杯目:大きめの茶碗にぬるいお茶
2杯目:小ぶりの茶碗にちょっと熱い茶
3杯目:ほんとに小さな茶碗に熱い茶
秀吉は三成(幼名は佐吉)の賢さにほれ込み
家臣として引き取った。
当時、秀吉は子飼いの家来が
いないために手下を集めていた。
と、いうのも秀吉は
家康や信長と違い最下層の出身。
有力な家来もいない。
親戚もいないのだ。
だから、日頃から「これは」と
いう人物に声をかけていたのだった。
つまり、人を見る目があった。
下世話で言うと、たらし込むのが
上手だったのだ。
そうこうしてチャンスをつかみ
天下人に登りつめた。
映画の1シーンの中で
こんなシーンがある。
大坂城内で、
北政所、秀吉が尾張出身の家来らと
大騒ぎしている。
そこへ、近江出身で高貴な血の出である
淀の方が通りかかる。
淀の方が、その下品な遊びを見て
眉間にしわを寄せる。
それを見た北政所は淀の方に向かって
こう言い放ったのだ。
「近江もんは気取っとるのぉ~」
「わしは尾張の田舎もんじゃて」
北政所と石田三成が仲が悪いのは
これが理由か!
北政所:尾張生まれの田舎者
三成、淀の方:近江生まれ
※近江商人といって
近江は昔から商売が得意なお国柄
農家と商人とではね、、、
まぁ~要するに
・気が合わない
・育ちが違う
・生きてきた気風が違う
なのだ。
それにしても、こんな理由で
三成は北政所を敵に回し
その結果、乾坤一擲の大勝負である
関ケ原:天下分け目の戦いで敗北し
六条河原の露と消えたのだった。
追伸
このように人との出会いは
運命的なものである。
気が合うか、合わないか?
まぁ~そんなものかもしれないし
そうでないのかもしれないなぁ~と
思った次第です。
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