-井本整体横浜室-よしみ整体[鈴木好美]

神奈川県横浜市保土ヶ谷区西谷町766-4ルミエール1階

09.27 19歳の安藤忠雄さんが掴んだ法則

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安藤忠雄さんといえば、、、

1941年生まれ、大阪の下町にある
間口2間、奥行き8間の長屋で育つ。

工業高校出身にもかかわらず

日本建築学会賞作品賞(1979年)
毎日芸術賞(1987年)
日本芸術院賞(1993年)

プリツカー賞(1995年)
高松宮殿下記念世界文化賞(1996年)
RIBAゴールドメダル(1997年)

AIAゴールドメダル(2002年)
京都賞思想・芸術部門(2002年)
UIAゴールドメダル(2005年)

ジョン・F・ケネディセンター芸術金賞(2010年)
後藤新平賞(2010年)


など受賞多数。

 

今日は、そんな彼の話し。ちょっと長い。


<中学2年の時に平屋の自宅を
2階建てに改築することになりましてね。

近所の若い大工さんがお昼休みも取らずに、
パンを齧りながら一心不乱に
働いている姿を見て、すごいなと。

この人は真剣に生きてる、
仕事に誇りを持って働いてる、
自分も建築の道に進みたいと思ったんです>

→真剣に生きてる人を見ると
確かに、人は感動するもんなぁ~。


<もう一つ、杉本先生の存在も大きかったですね。

杉本先生は中学の数学の先生で、
まさに熱血教師でした。

杉本先生がいつも全力で
熱心に教えてくれたことで、

勉強嫌いだった私も
数学だけは理解できたんです。

職人の仕事と数学への興味が
重なるところに建築の世界があった。

ですから、若い大工さんと杉本先生に
出逢ったことが原点ですね>

→いい先生に巡り会うことは僥倖だけれども
この世で名を成した人には、決まって

いい先生、いい師匠がいるもんだと思う。

 

<高校生の時に双子の弟が
プロボクサーになったこともあって、

ボクシングジムを見学したら、
当時サラリーマンの給料が¥10,000の時代に、
4回戦のファイトマネーが¥4,000なんですよ。

えっ、喧嘩してお金くれるの?
こりゃええなと。

1か月くらい練習して
プロになったんですけど、

後に世界チャンピオンとなる
ファイティング原田が練習に来た時に、
圧倒的なレベルの差を実感しました。

才能というのはあるんですね。
それでさっさとやめました>

→こういうところが好き。

理想に走らず、いつも現実的なのは
大阪生まれのためなのか

持って生まれた性分なのかわからないが。

 

<経済的な事情と学力の両方の理由から
大学には行けず、建築の専門教育も
受けられなかった。

ならば自分で勉強しようと。

19歳の時に、建築学科の学生が
4年間かけて学ぶ専門書を

1年で全部読もうと決心し、
毎朝9時から翌日の朝4時まで机に向かいました。

睡眠時間は4時間。

4月1日から翌年の3月31日まで、
ほとんど外出もせず、無我夢中で勉強したんです。

→このように正念場では、
常識を度外視した行動を
取ることは重要だと思う。

 

<「おまえは学校へ行ってない。
ハンディキャップがある。

でも、ハンディキャップは意外といい。
頑張るから」

と祖母が言ってましたけど、
いま振り返るとその通りだと思います>

→こんな言葉があるのを思い出した。

反省はしても後悔はしてはならない。


反省とは、今日の失敗を
明日まで引きずらない覚悟の人生。

後悔とは、今日の失敗を
最後まで引きずる覚悟の無い人生。

 

追伸
<目標を定めたら何が何でも
達成するんだという意志を持たないと。

独学であっても強い覚悟と
実行さえあれば道は開ける。

これは私の実感であり、
体験を通して掴んだ一つの法則です>

→目標を定めるためには
多少の時間を掛けてもいいと思う。

スタートを間違えると
大変なことになるから。


実際、安藤さんも、、、

24歳の時から7ヶ月、
世界へ放浪の旅に出る。

特に、立ち寄った
インドでの体験は凄まじかったらしい。

ガンジス川で牛が泳ぎ、
死者が火葬に付される

その傍らで
多くの人々が沐浴する


強烈な太陽の下、

異様な臭気に包まれた
果てしなく続く大地、

生と死が渾然一体となり
人間の生がむき出しにされた
混沌世界に強烈な印象を受け、

逃げ出したい気持ちを
必死にこらえながら
ガンジス川の岸辺に座り込み、

「生きることはどういうことか」を自問し続けた。


そして、得た結論が、、、

「人生というものは所詮どちらに
転んでも大した違いはない。

ならば闘って、自分の目指すこと、
信じることを貫き通せばいいのだ。

闘いであるからには、
いつか必ず敗れるときが来る。

その時は、自然に淘汰されるに任せよう」


1965年、24歳のときである


やれやれ。。。

 

 

参照:2021.02.08
到知出版偉人メルマガ

 

 

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