-井本整体横浜室-よしみ整体[鈴木好美]

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04.18 バルザック51歳死去(本当の理由)

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今日のブログは、、、

いつもとは趣向を変えてお届けする。


バルザックと聞いて、

「あぁ~、あのバルザックか、、、」

と、聞いてわかる人は
世界文学に相当、造詣が深い。


ここで、バルザックについて
ウィキから簡単に、紹介する。

1799年5月20日 – 1850年8月18日。

※1799年=寛政11年(日本)江戸時代

19世紀のフランスを代表する小説家。

後に、イギリスの作家サマセット・モームは、
『世界の十大小説』のなかで、バルザックを
「確実に天才とよぶにふさわしい人物」と述べている。


鈴木も、バルザックの代表作である

『ゴリオ爺さん』『谷間の百合』
『従妹ベット』『従兄ポンス』は

40歳を過ぎてから読んだ。

でも、眠気との戦いだった。(苦笑)

それほど、バルザックが書く物は
行間が詰まっていて読みにくい。

話しが、行ったり来たりして
とにかく回りくどいのです。

でも、おもしろいのは保証する。

こういう「ややこしい」ものは
暇な学生時代に四苦八苦しながら
読むべきものなのだ、と思った。


さて、本文。


バルザックが34歳の時(売れない時期)

ポーランドのハンスカと言う女性から
ファンレターが届く。

まだ、無名の頃だから

他国の女性から届くファンレターは
「うれしかった」と想像する。


そして、それが次第に

恋愛感情に移行するのは
とても、よく理解できるのです。


ただ、問題があった。

かのハンスカ夫人は人妻だったのだ。


その後、、、
ハンスカ夫人との交際は、18年続いた。


出会ってから、18年目
ハンスカ夫人は、夫を見送った。

そして、バルザックと正式に結婚した。


どんなにうれしかったことだろう。

想像するだけでもわかる。


しかし、、、

新婚後、3カ月でバルザックは死んだ。

 


追伸
18年間、待ち続けた
ハンスカ夫人と一緒になれたのに

「なんて女運が無いのだろう?」
と、思うかもしれない。


しかし、鈴木の考え方は
ちょっと違うのです。


それは、18年間、待ち続けた
ハンスカ夫人と一緒になれた。

その時の、バルザックの気持ちは
どうだったのだろうか?

と、考えるのです。


きっと

「うれしくて、幸せで
ルンルンだったに違いないのです。

しかし、その反面、、、

張り詰めていた気が、
急速に抜けたのではなかろうか?

そして、それが結果的に
死期を早めたのではなかろうか?

 


こういう話しがある。

海で溺れていた者を、救助した時には

「良かったなぁ~」
「もう、大丈夫だよ」

って、声を掛けたくなるのが人情だが、、、

ホントはそんなことをしては
いけないらしいのです。


そんな時には、

「この馬鹿が、、、」と言って
唾を顔に吐き掛けるのが

正しいやり方らしい。


「死ぬところ」を助かった時に
ほっとさせると安心して人は死ぬそうです。

でも、顔に唾を吐き掛けられると

「この野郎」と一瞬、思う。


その思いが、命を長らえる力になるのです。

 


参照:

世界文学名作者伝
『バルザック』

出久根達郎さん

 

 

 

 

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