東京は千駄ヶ谷にある
国立競技場の撤去が開始される。
実は、私、この国立競技場の
グランドでサッカーをしたことがある。
こんな風にベンチ席が見えた。
たわいもない話なので
時間がない方はスルーして欲しい。
それでも「つきあってやるか」と
いう方はおつきあいください。
今から、ずいぶんとさかのぼって
中学校1年の3月のこと。
なぜ、こんなにも記憶が
鮮明なのかというと
・その翌月には、この中学校を
転校することが決まっていたため
・サッカーを終えて、横浜へ向かう
首都高速道路を走る
ワゴン車の車内で、
その当時人気絶好調だった
キャンディーズの楽曲
『春一番』が流されていたため
だからだ。
当時は、野球部に所属していた。
運悪く「横浜で一番強い学校」
だったため”補欠”だった。
球拾いなわけ。
(今よりも身長が更に低く(泣))
オレが監督でも、鈴木は補欠しか
考えられない、と思う。
でも、スコアブックを書けたから
監督にはマネージャーとして重宝され
試合があるたびに、
他の補欠らが中腰で
声援を送る役にはならず
一人キャッチャーの
バックネット裏に陣取り、
スコアをつけていた。
試合に出れず、
毎試合たびにスコアを書く。
レギュラーになった同級生とは
能力の差が激しく
ひらたく言うと、スポーツで
「背が低い」というのは致命的であり
この経験があるから
身長に関係ないというか
しゃがむのに楽で有利な
「整体」の仕事を選んだのかもしれない。
まぁ~まったく
無意識のことだけれど。
そんなうっぷんがあったのだろう
小学校の頃に世話になった人から
「サッカーをやらないか?」と
誘われた時にはすぐに飛びついた。
でも、野球部をやめるわけにもいかず
(この感覚がわかる人は同世代だね。
やめるにやめられない空気、
確かにありました)
また、強い学校だったので
毎日練習があったはずなのだが
サッカーもしていた。
今、考えるとそんな時間を
どう作ったのかとても不思議だ。
で、サッカーを始めた。
当時は、野球だけが
スポーツという風潮で
サッカーは今ほど認知されていない。
だから、すぐにレギュラーだ。
それも「10番」エースだよ。
(とても気をよくしていた)
身長は低かったぶん頭を使った。
今で言う”スルーパス”を
出すのがうまかった。
勉強は、テレビ東京で
日曜日の夜に放映されていた
『ダイヤモンドサッカー』だ。
特に、オランダの
サッカーに夢中になった。
アヤックスというチームが
好きだった。
そんな両天秤をかけていた
ところへビッグなニュースが
飛び込んできた。
それは、、、
(次回へ続く)
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