今日は、田中英道さんの著書
『葛飾北斎。本当は何がすごいのか』を
参考にしてブログを書いています。
5年ほど前の事
葛飾北斎の美術館に行った。
※北斎館(ほくさいかん)
長野県上高井郡小布施町にある。
北斎が、晩年の4年間を過ごした場所。
路地がとても美しい町。
また、「栗」の名産地。
和菓子屋で購入した
栗アイスと栗まんじゅうは
濃厚な上品な甘さだった。
そして、、、
葛飾北斎が描いた
猫のデッサンを
染め抜いた手拭いを買った。
その手拭いは、今でも
鈴木の道場で使っている。
その手拭いを見るたびに
葛飾北斎の「仕事」に対しての
集中ぶりを感じ、気合が入る。
そんな北斎が
「富獄百景」初編に
北斎の絵に対する
こんな覚悟が書かれている。
こういうものである。
<「私には六歳から
物の形を写生する癖があり、
五十歳の頃から数々の画図を
本格的に発表しようとしてきた。
七十歳以前に描いたものは、
実に取るに足りないものばかりだった。
七十三歳で、 鳥獣虫魚の骨格や、
草木の何たるかをいくらかは悟ることができた。
故に、精進し続ければ
八十六歳でますます向上し、
九十歳になればさらに
その奥意を極めて、
百歳でまさに神妙の域を
超えられるのではないだろうか>
→しかし、北斎の願いは
残念ながら叶えられなかった。
嘉永2年(1849年)4月18日、
卒寿(90歳)にて臨終を迎えた。
※この年、ロシアの作家
ドストエフスキーに
対し死刑判決が出た
そのときの様子は
次のように伝えられている。
「死を目前にした北斎は
大きく息をして
『天が私の命をあと
10年伸ばしてくれたら』と言い、
しばらくしてさらに言うことには
『天が私の命をあと
5年保ってくれたら、
私は本当の絵描きに
なることができるだろう』
ここで、北斎らしいエピソードを
いくつか上げておく。
参照:ウィキペディア
<料理は買ってきたり、
もらったりして自分では作らなかった。
居酒屋のとなりに住んだときは、
3食とも店から出前させていた。
だから家に食器一つなく、
器に移し替えることもない。
包装の竹皮や箱に
入れたまま食べては、
ゴミをそのまま放置した>
→「絵を描く」こと以外には
全く興味を持たなかったのだろう
<人物を書くには骨格を
知らなければ真実とは成り得ない。とし、
接骨家・名倉弥次兵衛のもと
弟子入りして、
接骨術や筋骨の解剖学をきわめ、
やっと人体を描く
本当の方法がわかったと語った>
→ 「絵」を書くことに関しては
一切の妥協を許さなかったのだろう。
<おやじなんて子供の時から
80幾つになるまで毎日
描いているけれど、
この前なんか腕組みしたかと思うと、
猫一匹すら描けねえと、
涙ながして嘆いてるんだ。
何事も自分が及ばないと
自棄になる時が上達する時なんだ。>
→ これは北斎の娘から見た
父である北斎の姿。
最後の行にある
<何事も自分が及ばないと
自棄になる時が上達する時なんだ>
は、感動的でもある。
追伸
1999年には、アメリカの雑誌である
『ライフ』の企画
「この1000年で最も
重要な功績を残した世界の人物100人」
→ 日本人として唯一86位に
ランクインしたそうだ。
世界の美術界に多大な影響を与えた人は
「絵」にしか興味を持たない
ちょっと変わった人だった。
でも、それぐらいでないと
他人の人生に影響を与えることは
難しいのかもしれないが。。。
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