-井本整体横浜室-よしみ整体[鈴木好美]

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02.08 老兵は死なず、ただ消え去るのみ

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今日は、広岡達朗さんの

『監督論:「人は育つ」ことを
選手に教えられた』を

読んでブログを書いています。


※広岡達朗さんは
巨人軍の中心選手だった。

華麗な守備で人気を誇ったが、、、

後輩に、長嶋茂雄がいたことで
影は薄かった。


しかし、その後、監督として
常勝西武を築き上げた名監督。


今日の話しは、巨人という
日本のプロ野球の頂点に
属していた男が書いたもの。


つまり、巨人の広岡達朗から
どうやって常勝西武の名監督に

はい上がって来たかの
サクセスストーリー。

 

では、本文を、、、

 

<私は、読売巨人軍の選手を辞めて、
アメリカの野球を視察しに行った。

帰国後、仕事が無かったので、
大手町のサンケイスポーツに向かった。

伝(つて)があったわけではない。
紹介されたわけでもない。


「運動部長は誰ですか?」と尋ねて、
北川貞二郎・サンスポ運動部長に面会した。


このとき交わした会話は、
はっきりと思い出すことができる。


私はいきなり切り出した。


「広岡ですけど、仕事ありませんか」

「どうしたんだ、仕事って何だ。
お前どうしたんだ」

口ぶりは、ぞんざいだった。

どうしたと言われれば、説明するしかない。

私は、アメリカへ行ったこと、
スポニチとはレポートを約束していたが、
できなくてクビになったことなどを話した。


「分かった、お前、記事書けるのか」


書いたことは一度もない。


「書けます」と、即答できなかった。


「だいたいスポーツ新聞では
評論家に記者がひとり付いていて
話したことを書くんじゃないですか」

昔も今も、このことに変わりはない。


そのことが口を突いて出たのだ。


(スポーツ界の頂点である
巨人軍にいたことで

知らず知らずのうちに
調子をこいていたのだろう)

 

 

鈴木は、こういう「勘違い君」を、
昔、接客のバイトをしていた時に、
「さんざん」見てきたのです。


わかりやすいように
ひとつ例を出す。


ある自動車会社のパーティでのこと。

その会社の本社で、
あるパーティーが行われた。


パーティー名は、もう、
ずいぶん前のことだから
正確には覚えていないが、、、


確か、「OBを歓迎する会」
だったように思う。


つまり、退社なさった先輩である
OBをわざわざ本社に呼んで
先輩たちをねぎらうのです。


まぁ~あの頃は、日本がバブルで
「行け行け」だったあの麗しき日々。


だから、会社の財政にも
余裕があったのだと思うが、、、

今では、想像もつかないでしょ。


この会社では、
ちらっと聞いた記憶では、、、


OBがパーティーに
参加するための

・本社までの交通費
・宿泊代

も、会社が負担していたらしい。


※ちなみに本社でパーティーを
やることが最重要に大事なことらしい。


故郷に「錦」を飾る

まぁ~そんな感じかなと思う。

 

さらに、パーティー担当者を
ひどく悩ませたのが、、、


OBの在職時のポジションによって


・新幹線は、普通かグリーン
・飛行機なら、エコノミーかビジネス
・宿泊なら、ビジネスホテルかシティホテル


の割り当て、だそうだ。


その選別を間違うと、、、


「あいつは部長止まりだった」
「俺は、会社が厳しい時代の課長だった」
「会社に貢献したのは実は俺なのだ」


なのに、あの処遇はなんだ!?


と、後で、ごちゃごちゃ言われるそうだ。

 

 

追伸
そんなことを実体験として
知っているので、、、

鈴木は、歳を取っても
「調子こく」ことはないと思う。


ここで思い出すのは、、、

あのD・マッカーサーが言ったひとこと。

「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」


妙に、心に浸み入るコトバである。

 

 

 

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